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リニアメトロ電車は、研究開発をスターとしてから約35年の歳月を経過し、現在は営業路線長100km、営業走行車両760両に達するまでに成長した。昭和51(1976)年に小断面地下鉄にリニアメトロ電車を走行させる構想を提言してから今日までこの電車に携わった者の一人として、平成2(1990)年2月20日までの約15年間でこの電車を実用化するために行った研究開発の内容について述べる。

1. はじめに
(1)リニアメトロとは
 従来の電車は回転モータで駆動しているが、その回転モータをインダクション型リニアモータに置き換えた電車を通称リニアメトロ電車と呼んでいる。このリニアメトロ電車が走行する地下鉄をリニアメトロと称している。
(2)リニアメトロ電車の研究開発の流れ
 このリニアメトロ電車の構想が昭和51(1976)年に提案されてから、今年で約35年になる。リニアメトロ電車が今日のようになるまでには一朝一夕で出来上がったのではなく実施された内容を大きく区分すると3つの期間があった。
① 第1期工事は昭和51年から平成3(1991)年12月まで、リニアメトロ電車の研究開発により実用化できる状態になるまでの期間で、関係者が寝食を忘れて取り組んだ15年間であった。
② 第2期は平成4(1992)年1月から平成9(1997)年12月までの期間でリニアメトロ電車が東京都都営下鉄・大江戸線で営業運転に入り、研究開発時に楽観的に見通していたレール面上に波上磨耗が発生し、その対策のために関係者が尽力した時期であった。営業運転に入ったことで、その他に色々な課題が生じ、それらに対しての対策をするなど、第1期の研究開発時の苦労と異なる苦労をした5年間であった。
③ 第3期は平成10(1998)年1月から現在までの期間で、リニアメトロ電車の特徴をより一層発揮させるために新技術を取り入れた主要装置の新標準仕様を決定、高加減速の性能を考慮してドライバーレス運転システムの導入および保守を簡便にすることの検討などを実施している時期である。
ここでは第1期の研究開発期間(1976~1991年)の創生期に実施した内容を、開発当初から今日までリニアメトロ電車に携わってきた関係者の1人として、この電車の研究開発と実用化の歩みについて述べる。
2.基本構想の提言
 昭和51年にリニアモータ駆動方式の小断面地下鉄を研究開発するにあたり、リニアモータの1次側を車上に搭載する車上1次リニアモータ方式と、リニアモータを軌道のレール間に敷設する地上1次リニアモータ方式を比較検討することからスタートした。昭和53(1978)年に「リニアモータ方式による小断面地下鉄用電車」のタイトルで「提案書その1、その2」の2冊を作成し、その提案書を当時の運輸省をはじめ地下鉄事業者に説明して歩き廻ったことが、つい最近のことのように思われる。
この「リニアモータ方式による小断面地下鉄電車」の発想がどこから来たかを、研究開発に携わった当時者の1人として述べる。
結果から述べると、以下の3つのことが偶然にも1つの考え方にまとまったことに起因している。
なお、「リニアモータ方式による小断面地下鉄電車」は現在のリニアメトロ電車のことで、リニアメトロ電車の呼び方は平成2(1990)年以降に愛称的に呼ばれるようになり、現在は定着済みである。
また、平成2年2月20日は研究開発に関係した方々が夢にまで見たリニアメトロ電車が大阪市営地下鉄・長堀鶴見緑地線で営業走行した記念すべき日であった。
(1)国鉄の貨車ヤード用リニアモータカーの技術
 昭和40(1965)年頃、国鉄では全国に大小約50箇所の貨車ヤードが存在した。そのヤードでは多くの人員を必要とする仕分線対応のライダー(貨車に乗り、貨車の行先方面別の仕分線まで行き、貨車にブレーキをかけ貨車を停止させることを業務とする人)がいた。このライダーの業務内容が3K(きつい、きたない、きけん)の代表格で、ライダー要員の省力化のためにリニアモータ駆動方式の仕分線内貨車加減装置が実用化されつつあった。この装置は通称L4カーと呼ばれ、リニアモータの駆動力を使用して貨車を移動させ、定められた位置に停止させることができる自動化装置であった。平扁なリニアモータを使用しており、最大高さ寸法はわずかに20cmで、貨車の床下に十分入る容積の装置であった。このL4カーは国鉄富山ヤードで実用化試験後、神奈川臨海鉄道塩浜ヤード(川崎市)、東北本線北上ヤード(岩手県)および周防富田ヤード(山口県)の仕分線に導入され、ライダーのかわりに貨車の仕分作業を自動的に行った。その後、L4カーは全国のヤードで普及する予定であったが国鉄の解体にともない貨車ヤードの大半が廃止された。このL4カーをメーカの立場で担当した経験から、この技術を小断面地下鉄内を走行するリニアメトロ電車に応用できないかと発想した。すなわち、このL4カーのリニアモータ(リニアモータの1次側コイルと軌道内に敷設するリニアモータの2次側リアクションプレート)およびリニアモータ制御の技術があったお蔭で、リニアメトロ電車の研究開発は大きく促進した。
(2) 地下鉄建設の高騰に伴う建設費の縮減
 昭和48(1973)年頃にオイルショックが起こり、その後の物価高騰などで地下鉄の建設費は1km当り約150億円となった。また、建設費の約70%が土木工事費で、この土木工事費を縮減するためトンネル内径を小さくする小断面地下鉄の構想が提示されていた。この小断面地下鉄内を走行する電車として、貨車ヤードで使用されたL4カーの技術を応用した、電車の床面高さ寸法が従来の回転モータ電車のほぼ1/2に縮減できるリニアメトロ電車の構想を提案することにした。
(3) 1時間当たり片道の輸送乗車人員が2万人程度のサブメトロ構想
例えば、大阪市では昭和45(1970)年頃から地下鉄御堂筋線の混雑が非常に激しくなってきた。この対策として、小断面地下鉄を梅田から難波の間に建設して混雑緩和に役立てようというサブメトロのアイデアが出てきた。このサブメトロの構想の外に、人口80~100万人程度の地方中核都市の地下鉄として低建設費で建設できる小断面地下鉄の検討がスタートしていた。このような地下鉄を走行する電車として、リニアメトロ電車が適応でき、かなりの市場があると判断した。
3.リニアメトロ電車のバイブル
リニアメトロ電車の基本コンセプトをとりまとめた提案書に対して、地下鉄事業者より、リニアメトロ電車の実用化に際して色々な課題がなげかけられた。この課題に対して一つ一つ技術的な検討を加えて回答し、時には部分的な実証により賛同を得るように、リニアメトロ電車の実現のため数少ない関係者が一丸となり頑張ったことが懐かしく思い出される。
一つ具体的な事例をあげると、車輪径が小さくなるとレール面上で車輪踏面圧力(ヘルツ応力)値が高くなることは定性的には理解していた。そこで、実用化するためにレールの使用材料・形状をパラメータにして、車輪径とヘルツ応力の関係を、過去の実績値を海外を含め詳細に調査した。その結果をベースに車輪径650mmと決め、地下鉄事業者に回答し納得して頂いた。全てにおいて、このように一つ一つ同様なプロセスにより回答し、リニアメトロ電車の具体化のために努力しながら、研究開発の関係者は少しずつリニアメトロ電車の実用化に対する確信を高めていった。しかし、当時はリニアメトロ電車の実用化に疑問を持つ人が予想以上に多かったことが思い出される。このような方々に、より具体的な技術検討書「リニアモータ方式による小断面地下鉄電車」を関係者と数日間徹夜の上で昭和55(1980)年4月に作成し、実用化に疑問を持つ方々に説明して歩いた。なお、この検討書は現在では「リニアメトロ電車のバイブル」と呼ばれており、1冊を大切に保存している。
4.リニアモータ方式による小断面地下鉄電車の研究(その1)
  (昭和56(1981)年4月~59(1984)年3月)
 昭和51年から約5ヵ年にわたり、地下鉄の建設費を縮減するために「リニアメトロ電車」の基本コンセプトを提言し、それを実用化するため研究開発に着手すべきことを行政機関および地下鉄事業者に提言して日時が過ぎた。その提言努力が実を結び、財団法人日本船舶振興会の補助金により、社団法人日本鉄道技術協会(以下、「JREA」)が主催する検討委員会を組織するとともに、本研究開発の全体を取り纏めてプロモートすることになった。この研究開発は結果的には4ヵ年にわたり推進されたが、当時はリニアメトロ電車の実用化に懐疑的な方々が多く、毎年度の研究成果を評価しながら、次年度の見通しがかなり明確になってから、研究補助金の認可がおりるというプロセスであった。そのため、当時研究開発に携わっていた方々は、次年度の補助金を確保するために研究開発に対して全力をあげて推進したことが懐かしく思い出される。この4ヵ年間の研究開発の概要を述べる。
(1) 昭和56年度(1981年4月~1982年3月)
小断面地下鉄電車の車両性能を満足する高効率のリニアモータ(1次側コイルと2次側リアクションプレート)を開発するに際して、まずアーチ型リニアモータと回転試験装置を設計・製作した。その装置を使用してリニアモータの基礎データを測定し、リニアモータの設計定数を見つけ出した。なお、この測定試験のためにアーチ型リニアモータを駆動するインバータ装置が必要となり、手持ちのインバータ装置をリニアモータ向け低周波インバータ装置に設計変更し改造した。このアーチ型リニアモータと回転試験装置の概略寸法は横が6m、幅が3m、高さが3.5mで、かなり大きな試験装置であった。
(2) 昭和57年度(1982年4月~1983年3月)
 昭和56年度の研究結果をベースに、リニアメトロ電車の試験電車用リニアモータ(1次側コイル)140KW、2台とそれを搭載するリニアモータ台車2台を設計・製作し、各種試験を実施した。また、リニアメトロ電車が走行するに必要なリアクションプレート(リニアモータの2次側導体)を使用材料の組み合わせと構造を変えることにより4種類、各5mで合計20mを設計・製作した。そのリアクションプレートを株式会社日立製作所水戸工場内試験線の軌間1.067mmのレール間に敷設して各種試験を実施した。
(3)昭和58年度(1983年4月~1984年3月)
昭和57年度に製作した140KWリニアモータ、インバータ装置、台車および必要な装置(例:ブレーキ装置)をぎ装して、日本で最初のリニアメトロ電車を製作した。同時に電車が試験走行するに必要なリアクションプレートを310mを設計・製作した。昭和57年度に製作した20mと合わせて330mのリアクションプレートとなり、日本で最初のリニアメトロ電車の各種走行試験を開始した。なお、小断面地下鉄用リニアメトロ電車としては世界最初の走行となり記念すべき出来事であった。昭和59年1月27日にJREAが主催の本委員会を開催し、100mカーブを走行する立会試験を実施し、きしみ音を発生することなく走行した時の喜びを現在でも鮮明に覚えている。
5.リニアメトロ電車がNHK朝7時ワイドショーで全国に放映
 NHKのTV放送で朝7時のニュースがワイドショースタイルになったのは昭和59年4月2日(月曜日)からであった。このワイドショーの中で日本で最初に走行した、リニアメトロ電車が約7分間全国に放映された。この放映のために、3月31日(金曜日)にNHKの若手の中村克洋アナウンサーとスタッフ3名が日立製作所水戸工場に来場し録画とりを行い、私はリニアメトロ電車の走行をはじめ色々と協力させて頂いた。なお、NHKが放映したVHSテープは記念として保存している。この放映をきっかけにしてJREAが主催でリニアメトロ電車の試乗会を開催し、5日間で約1,000名の方々に試乗して頂き、リニアメトロ電車が実用に供されるようになった印象を与えることができ大きな効果があった。
6.リニアモータ方式による小断面地下鉄電車の研究(その2)
(昭和59年4月~60年3月)
 昭和59年4月にNHKで放映され、日本で最初に走行したリニアメトロ電車として多くの方々に知られた。同時に、今迄実用化に対して懐疑的に見ておられた方々から長期走行試験の実施を要求されると共に、リニアメトロ電車へ支援して頂くサイドに変身して頂くことになった。昭和59年4月より追加1ヵ年間財団法人日本船舶振興会の補助事業として認可がおり、リアクションプレートをさらに330mを延長し、全長660mの距離となった。その660mのリアクションプレートになることで、最高速度70km/hの確認をはじめ電力消費量の測定および信号装置に対する誘導障害の影響の確認がなされ、実用上の問題がないことを地下鉄事業者に分かって頂いた。
7.リニアモータ駆動小型地下鉄実用化検討委員会
 社団法人日本地下鉄協会(以下、「JSA」)では昭和54(1979)年より「小規模トンネル断面に適応する小型地下鉄車両の調査研究」のテーマで検討を進めており、昭和58(1983)年までに小型地下鉄システムによる建設費、採算性について検討結果をまとめていた。しかし、小型地下鉄に走行させる電車について具体的に検討が進んでいなかった。そこで、JREAで実用化のために研究開発してきた、リニアメトロ電車を採用することで、JSAでも「リニアモータ駆動小型地下鉄の実用化に関する検討会」を昭和59年度から開始した。リニアメトロの実現化のためにご尽力された故今岡鶴吉氏(元大阪市交通局長)の助言によりリニアメトロ電車の実用化開発体制をJREAよりJSAに移管した。そのことによりリニアメトロ電車の実用化開発に対して地下鉄事業者の多くの方々が参画された。同時に、リニアメトロを適用する具体的路線名と建設の話題も出るようになった。
 基礎的な研究開発から実用化するための研究開発にウエイトが移り、同時に研究開発母体の移行にともないJSAが主体となった。昭和60(1985)年4月から昭和62(1987)年3月までの3ヵ年に「リニアモータ駆動小型地下鉄の実用化研究」のタイトルで、当時の運輸省よりJSAに実用化研究が委託された。この実用化研究開発の内容は以下の通りであった。
(1) 1年目(昭和60年)は安全性と経済性の評価項目の設定と評価方法の検討、および試験線設置場所や、試験施設とリニアメトロ電車の基本仕様を決定することであった。
(2) 2年目(昭和61年)は試験線の施設およびリニアメトロ電車の設計・製作をした    同時に走行試験に係わる安全性と経済性の評価項目の見直しを実施した。
(3) 3年目(昭和62年)は各種走行試験、耐久試験を実施した後に、施設とリニアメトロ電車の標準仕様を作成した。また、安全基準の作成および経済性の定量的把握を実施した。
8.大阪南港でのリニアメトロ電車の各種試験
 大阪南港に試験線を建設、昭和62年から63年末まで各種の性能確認試験および安全性や信頼性の確認のため長期間の走行試験を実施した。この大阪南港の試験線は全長1.85㎞で、曲線半径50m、100mと勾配4%と6%の箇所を設けた。リニアメトロ電車は2両固定編成で電圧はDC1,500Vで、最高速度70㎞/hの性能を有した。この試験線で各種走行試験を行うと同時に、リニアメトロ電車を関係者に広く知って頂くために昭和62年6月16日から19日までの3日間に試乗見学会を開催し、当時の鈴木都知事をはじめ約1,800人がリニアメトロ電車に試乗された。
9.大阪市交通局・長堀鶴見緑地線にリニアメトロ電車を採用
昭和63(1988)年9月に大阪市交通局は長堀鶴見緑地線を走行する電車としてリニアメトロ電車を採用することを決定した。昭和51年9月より「リニアメトロ電車」の構想を提言して、その研究開発をプロモートしてきた当事者の1人として満12年目にようやく夢が実現することになり、この時の感激は今でも忘れることができない。この長堀鶴見緑地線のリニアメトロ電車は南港試験線での各種試験結果をベースに設計・製作され、平成2年3月20日に日本で最初のリニアメトロ電車が営業運転に入り、日本の地下鉄の歴史において記念すべき日となった。
10.終わりに
 リニアメトロ電車の研究開発をスタートした当時の状況をはじめ、その後の研究開発の流れを、実施した事柄を中心にして時系列的に述べた。一般的に物事の研究開発は人・物・金三位一体となり調和して進むと言われているが、しかし、この研究開発を通して、研究開発の成功と失敗はそのプロジェクトに参画している人の力が大半であることを実感した。今回は「リニアメトロ電車」の研究開発のスタートから日本で最初に営業運転に入った大阪市長堀鶴見緑地線までの期間(第1期・創世記)に実施した内容を述べた。しかし、実施している途中では技術的失敗、関係者間の情報交換の不備、研究開発費の不足に際しての捻出など多くの出来事があった。これらを克服して実用化まで導くことが出来たのは関係者の団結力(人の力)であった。今後この種のプロジェクトを成功させるために後世に伝えておきたい具体的な出来事が多くあり、時には秘話であり、中には裏話もあった。その秘話や裏話の中には今後この種の大型で長期間のプロジェクトを成功に導くためのキー(鍵)またはノウハウが多く存在している。次回リニアメトロ電車の研究開発に関する記述依頼の機会があったら、プロジェクトに参加された人物に焦点を当て、秘話や裏話を含めて述べてみたい。
雑誌JREA 2010年Vol.53 No.7より 

(社団法人日本地下鉄協会リニアメトロ推進本部首席調査役/社団法人日本技術士会元副会長/技術士(機械・電気電子・総合技術監理部門)

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